プレイヤーとしても、評論家としても。立川談志・一流の「理詰め」
大事なことはすべて 立川談志に教わった第7回
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■「落語の理詰めによる分解」
まず師匠の凄い点のその一は、「落語の理詰めによる分解」を果たしたことでしょう。29歳の時に著した名著『現代落語論』が、その端緒な例です。師匠は300年以上とも言われる落語の歴史の中で、初めて「理詰め」のメスを入れた執刀医かもしれません。
もしかしたらこの領域は、落語評論家の研究する分野なのでしょうが、プレイヤーである師匠が同時に開拓者でもあるという点が非常に特異なのです。
晩年、独演会直後のお客さんとのトークでよく口にしていたのが、「プレイヤーである俺に対して、演出家である俺や解説者である俺が、ずっと上から見てるんだ」です。一歩間違えば分裂症チックな発言もしていましたが、これこそがまさにその証左でしょう。
プレイヤーとしても天才ならば、落語評論家としても天才なのでした。ああ、芸術の神はなんてつらい宿命を立川談志に与えてしまったのでしょう。晩年の苦悩はこんなところから始まったのです。
そんな天才のもとでの落語の稽古は、前座とて容赦ありませんでした。しかも天才らしく、稽古の瞬間はいつも恐ろしく突然やってくるのです。移動のタクシーの車中でも頻繁に行われました。
師匠と並んで後部座席に座った弟子に向かって突如、「お前、落語やってみろ」と言うのです。もしここで、一瞬でも間が生じたりすると「あ、もういいや。適当にその辺で遊んでろ」と見切りをつけてしまうのです。
そんな場面を何度かクリアし、兄弟子をはじめとする先輩方に稽古をつけてもらったネタに一気にメスが入るのです。
一度、これなら絶対文句がつけられまいと、突然の展開に戸惑う運転手さんを尻目に師匠本人のネタで覚えて披露したことがありました。